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1978年、冬。

リー・チーシアン監督

中国/日本

チャン・トンファン=弟

リー・チエ=兄

シェン・チアニー=北京からきた少女

兄弟の父=鍼医

昨年東京国際映画祭コンペ出品。

仮題 が「思い出の西幹道」だった。

1978年という文革終了年が大きく

影響する作品だから、公開邦題が

ついた?

でも、文革終了後から今日にいたるアレコレって、

日本人のわたしにはそれほどピンとこない。

北京から中国北部の村の叔父の

もとへ移り住んだ少女。

二胡を携えて歩き、舞踊団の団員になるのが

夢。都会からきたスタイルが良い少女。

誰でもが、関心をもつ。彼女の家の前の

18歳と11歳小学生の

この兄弟も少女に惹かれて、兄は恋をし、

弟は憧れを抱く。

2

新年会での余興で少女が踊った様子を

絵に描いて(漫画が上手で)人気物の弟。

工場をさぼり、鉄くずを売って、

小銭を得、ラジオ作りに精を出す兄。

弟は家では禁止されているので、隠れて

絵を描いているとき、少女に絵をほめられ、

画用紙ももらって、幸せいっぱい。

それに嫉妬し、弟のふとんに水を垂らし、

オネショsign02のフトンを家の前に干し・・

弟のカブをさげたり。

弟は兄と少女の秘密を知り、それが

きっかけの事件でふたりの間に深い溝ができる。

徴兵なのか?鉄道で多くの若者たちと

出兵していく兄。見送る両親に別れの言葉を

かけるが、弟には一言もない。

このあたりとても、いいなと思った。

少女が駅には見送りに来ないで、

途中の踏み切りから列車のあとを

追いかけてくるところは馴染みある

シーン。

母は怒ってばかりいるようだ。

食事の行儀をしかり、会社をサボった兄を

たたく。

「兄が不良だから、弟も不良と」

弟がいじめられ怪我したたときは、ドカベンに

熱々の饅頭をいれて、学校まで迎えに行った。

やさしいところも、やっぱり母親だから。

父は近所の人から”先生”と呼ばれている。

寡黙な人のようだ。

鍼を消毒する場面が何度かでてくる。

本を見つつ自分の脚で治療効果を研究する。

兄はマイ箸ならぬマイフォクーとナイフを

持ち歩き、食堂の餃子もドカベンの餃子も

それで食べて・・何か意味があるのかな?

この4人家族の食事の場面は何度もでてくる。

土間にすえつけの大きいお釜や鍋から

よそったり食事の支度も。

親の都合が悪いときは兄が粉を練って、

夜は饅頭をつくるよ。(と言ってでかけちゃうが)

それに比べて少女の生活は粉塵に紛れて

一輪車でコンクリトのかたまりを運ぶ。

通路にある村の共同水道で水を汲む。

食事も団欒もでてこない。

二胡をほかの人たちと稽古中の場面が

あってほっとした。

少女のことばかり気がかり。

荒地に雪が残り、寒々とした広い広い景色。

哀しいけど、いい映画。

監督も俳優も知らない人ばかり。

もっとも知っているのは5世代のあたりまで。

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